【常磐テントの歴史】

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みなさんこんにちは。

今日は私たちの会社、常磐テント商会について知ってもらう上で、当社の歴史について少しお話しさせて下さい。

昨年の震災後、いわきの復興のシンボルとしてもますます知名度をあげている「フラガール」、みなさんもきっとご存知ですよね?

いわき市民にとってはおなじみ、”スパリゾートハワイアンズ”でフラダンスショーをしている踊り子さんたちのことです。

2006年には蒼井優さんが主演で映画化もされ、これがきっかけで一躍有名となりました。

この映画を観た方ならご存知かと思いますが、このスパリゾートハワイアンズ、以前は”常磐炭鉱”という炭鉱だったのです。

昭和19年常磐炭鉱第六坑風景

 

当時は石炭が主要なエネルギー源だったため、多くの人々がこの常磐炭鉱で作業員として働いていました。

この常磐炭鉱で働く作業員が坑内で使うリュックやカバンを縫製・販売していたのが、常磐テントの前身である『坂田テント』だったのです。

帆布の中でも固くて丈夫な9号帆布(はんぷ)という素材を使い、シルクスクリーンの方式で常磐炭鉱のマークをプリントしていました。

 

常磐テント商会の前身、坂田テントの創業は昭和22年4月。

場所は現在のいわき市内郷町ではなく、常磐湯本町(今のいわき市湯本町)にありました。

創業者は先々代に当たる坂田義一(さかた ぎいち)。

元々は東京で芸者の着物などに使う染め物の生地を扱う仕事をしていた坂田でしたが、日増しに悪化する空襲から逃れるため福島に疎開し、坂田テントを創業したのでした。

当時の湯本駅前に坂田テントの工場と『坂田カバン店』という店舗を構え、テントの施工と並行して東京から仕入れた婦人物のカバンや洋服の販売も行い、洋品店としても地元の方々に親しまれていました。

昭和40年 ちょうど坂田カバン店の隣にあった品川白煉瓦

しかし、時代の流れとともに主要エネルギーが石炭から石油へと転換、それに伴い常磐炭鉱は閉鎖へ。

常磐炭鉱で働く作業員のカバン製造を業務の中心としていた当時の坂田テントは、時代とともに中心業務もカバン等の縫製から、テントの施工へとシフトしていきました。

また、その後道路拡張整理が行われ、その際の整理区域にひっかかってしまったため、これをきっかけに内郷へ移転を決めました。

昭和35年5月に商号を『常磐テント商会』に改め、現在に至ります。

現在は、店舗用・個人用オーニングの施工を中心に、トラックの荷台用幌(ほろ)等、さまざまな製品の縫製や各種テントの販売を行っています。

先日もスパリゾートハワイアンズがさんが再開するに当たって、テント施工のお仕事をさせていただきましたが、実は古くからの、こんなに長いお付き合いがあったんです。

先々代が『坂田テント』を創業してから、先月の4月で早65周年目を迎えました。

今日の常磐テント商会がありますのも、皆さま方が支えて下さっているおかげです。

常磐テント商会は、お客様のために、地域のために、そして地球のためにも、これからもどんどん邁進していきたいと思っております。

 

今日は、常磐テントの歴史についてお話しさせていただきました。

最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。

今後ともどうぞ常磐テントをよろしくお願いいたします♪

 

画像出典:『写真集 湯けむりの町つづれの色模様』 常磐湯本連合青年会 発行

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